高松兵庫町商店街の歴史 高松城外堀の南に位置していました。寛永17年ころの城下町絵図には「兵庫かたはら町」とあり外堀に面する片側だけの町でした。藩の武器をしまっておく兵庫(倉庫のこと)が堀に沿って並んでいたことから町の名前となったようです。 明治8年には「博文社」が創設され、中央の新聞や新刊雑誌の閲覧所や、新思想演説会場も設けられ、商法会議所(現在の商工会議所)もこの町に作られました。高松の新しい文化の発祥地ともいえます。